Finally, will I fall rightly?

 信じられない、この男。別れ際に、ひとつひとつ、懇切丁寧に私の汚点を説明し始めた。
 は、目前で欠点のラインナップを並べ続けるこいびと(接頭辞に「元」を付けるべきかもしれない)を細目で見上げながら、こころの底から辟易とした。今までこんなひとと付き合って来たじぶん自身が信じられない。が心中で呆け、自己嫌悪しているあいだにも、おとこの心情吐露は続いていた。いつでも仕事(ボーダー)を優先する、寝起きが悪い、電話やメールなどの連絡を無視する、果てには「お堅い女を気取ってる」。いくら辛抱強い方のでも、果てのない彼の言い分を聞いていると、はらわたが煮えくり返りそうだ。と云うか、もう煮えはじめている。不満があるのなら、こうして最後の最後に一纏めで捲し立てるのではなく、その都度口に出せばいいのだ。内に溜めて焦らしてから爆発させるのが好きなタイプなのか。それとも、長期休暇の宿題は最終日に済ませてきたタイプなのか。まったくもって知らなかった。三か月も「こいびと」をしていたのに。
「そんなふうに思ってたのなら、謝る。ごめんなさい。あなたの言う通り別れよう。今までどうもありがとう。楽しかったよ」
 はおとこの話を断ち切るようにスッパリと言うと、眉を上げて怪訝そうな表情を浮かべる彼の横を通り過ぎ――そしてゆっくりと振り返って、にっこり。「あ、最後にひとつだけ」口角を上げた。
「次に付き合う女の子には、もっとマシなセックスをしてあげてね」

 組織外恋愛がもたらす価値観の相違。そんな些細なすれ違いが別れを招いたのは、一度や二度のはなしではない。がボーダーに入隊してはや数年が経過したけれど、そのあいだ惹かれ合ったおとこのひとはすべてボーダーには何の関わりも持たない人間だった。高校の同級生、行き着けのレストランで隣に座った客、最寄駅のキオスク店員。実にてんでばらばらな組み合わせではあったものの、終幕はみな同じだ。すれ違い、からの、別れよう。大抵のおとこは、じぶんより高い能力や地位を持つおんなを目の敵にしてくる。ボーダーA級隊員(の端くれ)を務めるなんて、その最たるものなのだろう。おまえにはついていけないよ。きみはひとりでもやっていけるよ。まったく、私の何があなたに分かるって云うんだろう! ボーダー本部最上階のカフェテリアで注文したあたたかいカフェオレを飲みながら、はだらしなくテーブルに肘を付いた。21にもなってくだらない色恋しか築けないじぶんに憐れみと嫌悪を同時に感じながら、窓際の席でぼんやりと思考に沈んでいく。中学生の恋の方がまだマシかもしれない。今のは少なくとも中学生の平均より経験を詰んでいるのだから、そのぶん利口な方法を使用しなければならないはず。
 こんなふうに最高な景色の特等席で、こんなふうに曖昧に淀んだ気持ちで、いったい何度、恋愛の後始末を繰り返してきたことだろう。進歩がない。学習能力がない。なのに、好きになると我を忘れて突っ走ってしまう。こっ酷い展開でピリオドが打たれるたび、もう二度と誰にも惹かれたくないと思う。それでもまた、欠けた一点を埋めてくれそうなひとに出会っては、性懲りもなく恋に落ちる。誰かのいちばんになりたくて、甘い夢のかけらを口で弄んでみたくて。そんなじぶんをいちばん理解しているから、は思考の流れをせき止めた。これ以上反省しても際限なく落ち込むだけだ。そんなことより、来週に控えた近界遠征選抜試験の対策でも考えてみる。が所属する部隊はとりあえずのところ全員が受験を予定していた。文字通り未知の世界に足を踏み入れるのだから、当然、日ごろから連携を取っている慣れた人物と共闘したほうが何かと具合がいい…………ああもう、お堅い女を気取ってるだって? あのひとの告白に一拍の間も置かず頷いた私が? お堅い? 何それ! ……駄目だった。結局、はまだ、ゆうべ元こいびとに付き付けられた「汚点」に理性が掻き乱されている。
 ぬるくなりつつあるカフェオレをひとくち含む。あまり甘くないのが好きで選んでいるけれど、冷めたら最後、ちっとも美味しくない。それでも惰性で喉に流し込んでしまう。
 にはもう分からない。相互的な好意のもと結び付いたひと同士が、ある日、破綻を迎えて赤の他人に逆戻りする。諸行無常とでも云うべきそのプロセスに、自身も組み込まれていること。誰かにとってのいちばんを獲得するのは、きっと、無理だと定められている。赤の他人は、結局、どこまで行っても赤の他人と云うことなのか? あんなおとこを好きになったじぶんが悪い。好きなひとを作ってしまうのが悪い。楽な極論に流されそうになる。でも、結局、いちばん惨めなのは、好きだったひとを最後には嫌い、時として憎んでしまう。その一点に尽きる。それは裏を返せば、彼を好いたの判断が過ちだったことを示している。情けない。
「……あーあ、こんなに天気がいいのにな……」
 はスライムよろしくテーブルに伏せると、知らず知らずのうちに、ちいさな声でひとりごちていた。
 終わった恋の残り火に悩まされている、自身。くだらない。ボーダー隊員としての仕事は順調。A級のランク戦で得られる凌ぎ合いは純粋に楽しい。無駄なぶぶんを削ぎ落とし、じぶんが鋭利な存在へと進化していく貴重な感覚を味わえる。(恋愛を除いた)対人関係も良好。これ以上何の幸福を得れば満足するのだろう。際限のない欲求に、何とか妥協点を見付けたいところ。
 思考回路が人生の意味などと云う御大層な問題に集中していたために、ふと、付近の席に誰かが腰を下ろしたのに気付くのが遅れた。が伏せていた顔を上げると、左斜め前の席に、小柄な体格とは相反して鋭く磨かれた気配を纏うおとこがいた。久しく見ていなかったすがたである。は幾分か毒気を抜かれて、ちいさく笑った。
「……風間くんだ。久しぶり」
「そうだな」
 風間はちいさくうなずくと、ぱっちりと大きいながらもどこか鋭利な印象が強く残る瞳を瞬かせた。テーブルにはプラスティックのトレイが置かれ、白いディッシュに乗ったクラブサンド、それからあたたかな湯気を立てるマグがあった。
「それ、カフェモカ?」
「ああ」
「そっかー。風間くんってエスプレッソとか飲んでそうだから、驚いた」
 は、にへら、と腑抜けた調子で笑う。モカにはチョコレートシロップが入っていて、ほのかに甘い。が抱く風間のイメージとは少しずれた位置にある飲料だったため、驚くと同時に微笑ましく思った。同年齢の風間蒼也とは、特別に気が合う訳ではないものの、いっしょにいて無駄な気を使わなくていい友人だ。最初こそ取っつき難いイメージが拭えなかった風間だが、あまり感情の起伏を表に出さないタイプだっただけで、トリオン能力とトリガーの扱いにかけては人一倍尊敬できる人間だと気付いてからは、印象がガラリと変わった。それに、彼は無駄口を叩かない。それだけで、にとっては猛烈にありがたかった。派手な外見ではないものの色恋沙汰が絶えないに対し、好奇心満載の質問を投げかけてくる隊員がやたらと多い中、風間にはいっさいそう云った面がなく、ごくふつうに(他と比べたらやや無愛想ではあるものの)接してくれる。
 すっかり冷めてしまったカフェオレをしぶしぶ飲み干したは、久しぶりに風間との会話に興じてみようかと云う気になった。少しわくわくしながら口を開く。
「あのさ、風間くん」
「なんだ」
 作業的に、無駄のない手付きでクラブサンドを淡々と食していく風間。ときどきモカに口を付ける。食事と云うよりか、摂取と云う感じだ。はこころの内だけで苦笑する。
「風間くんはさ」
「ああ」
「好きなひととか、いないの?」
 風間の手が止まった。は悪気のない顔。はあ、とため息を吐いて――それでも、風間は答えてくれた。
「……いないな」
「そっか。変なこと聞いたよね。ごめん」
「いや」
「ちょっと興味があったんだ。こう云うこと聞かれるのって、良い気分はしないよね? でも、好奇心には勝てなくて。ごめん」
「何度も謝らなくていい。だが、久しぶりに会って何を聞くかと思えば……意味が分からないな」
「あはは。いや、ね、私さ、付き合ってたひとときのう別れたんだけど、今になってもそのことを延々とぐだぐだ考えちゃって。風間くんにもそんな苦い悩みはあるのかなぁとか、疑問が浮かんで」
「悩みならある」
「え? どんな?」
「目の前の奴に学習能力がないことだ」
 ごもっともです。図星を突かれ、は再度俯いた。じぶんについての噂は、きっと風間の耳にも入っているに違いない。居心地が悪くなって、は窓からパノラマで見渡せる景色に視線を転じた。
「なんでなんだろーねー……どれくらい考えても上手く分からない。何回も同じことしてる」
「アタッカーになりたいと言い出した時も同じだ。馬鹿の一つ覚えで何度も俺に突進してきただろう」
「あ、そんなこともあったね。そのたび、風間くん、一発で私のこと吹っ飛ばしちゃってさ。……でも、トリガーの構造も扱いも、アタッカーとしての気構えも戦闘方法もちゃんと掌握できたし、ここまで伸し上がることも、叶ったし。根こそぎ学習能力が欠けてるって訳ではないのかも」
「それは自己評価か?」
「うん。違うかな?」
「俺に聞くな。自分の特徴ぐらい自分で把握しておけ」
「うん、その通り。……でも、こればっかりはしょうがないと思ってる。色恋は思案の外って言うし。繰り返していくうちに何かしら進歩はしてるんだって考えなきゃ、付き合ったひとにも申し訳ないから。楽しい時間をもらってきたことに変わりはないんだし。それでも、また同じ状況に陥るって最初から分かってても、違うひとを好きになっちゃうんだよ。……何だか病気みたいだけど」
 だんだん愚痴の様相を呈してきた。風間は聞いているのかいないのか、視線をどこかまったく別の方向に定め、口を噤んでいる。
「だって、好きなひとがいると、楽しいじゃない?」
「……さあな、」
 と断じて、風間は席を立った。あっと云う間に昼食を食べ終えたらしい。トレイにはからっぽのディッシュとマグがあるだけだ。飲み干されたモカの甘さは、果たしてどれぐらいの加減だったのだろう。はそんなささいなことが気にかかった。でも、訊けなかった。
「俺はもう行く」
 はうなずき、風間に手を振った。またね。風間の、狭く、そして姿勢のいい背中が見る間に遠ざかっていく。ふだんは隊員や職員で引っ切りなしに混み合うこのカフェテリアも、いまは驚くほど空いていて、がらんどうとしていた。はしばらくぼんやりと呆けたあと、また、窓から見下ろす三門市の景色に視線を戻した。
 次に好きになるひとが風間のようなひとだったのなら、無駄な反復作業は回避できるのだろうか。は一瞬考えて、そしてふっと自嘲した。
 後には風間が飲んでいたモカのにおいばかりが残っている。

(2013/12/20)