Where's my white key?

 がはじめて骨を拾ったのは、四年半前のことだった。どことも知れぬ路上で拾得したとか、そう云う突飛な事情ではないから安心して欲しい。生まれてはじめて、葬儀に足を運ぶ機会があっただけ。火葬にされたのはの兄で、当時、やわらかく微笑うきれいな女性と結婚したばかりだった。収骨のとき、やたらと長くて頑丈な箸を用い、は母といっしょに兄の骨(海辺によく流れ着く、細くなめらかな流木みたいだった)を拾い、ぎこちない手付きで骨壺に納めた。ひとの骨を目にしたことなどなかったし、そのうえ箸で摘まみ上げるなんてもはや想像の埒外で、はほとんど茫然としていた。骨ってこんなにも無垢な色なんだ。なんて、兄が聞けば間違いなく笑い飛ばすであろう感想を抱いた。つい数時間前まではきちんと肉体として存在していたひとが、業火にくべられ、後には灰と骨を残すばかりとなる。そこにおぞましさや悲しみを覚えてもいいはずだった、あの無機質な追悼の光景。それなのに、今こうして思い出してみても、ひとすじの嫌悪すら感じない。大好きだった兄。その骨。
 まっしろで、きれいだった。

?」

 はっとして目を開くと、こちらを覗き込む迅悠一と視線が合った。
 どうやらソファでうとうとするうちにいつの間にか眠っていたらしい。
 未だ夢の残像がチラつく頭を振って、は上体を起こす。まぶたの裏側に白いハレーションが走る。懐かしい記憶の追体験だった。
「夢でも見てたのか?」
 迅はそう言うとの横に腰を下ろし、お約束通り手に持っていたぼんち揚げの袋をガサガサとやり出す。玉狛支部、その休憩所とも云うべき談話室には、と迅のふたりしかいない。
「うん。……ずいぶん前の。妙にリアルで、まだ頭がぼんやりする」
「ここ、跡付いてるぞ。ソファなんかで突っ伏したまま眠るからだよ」
 迅は細長い人差し指で、とんとん、と頬を示す。が慌てて頬に触れると、迅はふっと息を洩らして笑った。頬はじんわりと熱を持ち、言われてみれば確かに服の裾の皺が付いてしまっているようだった。頬と耳の境界線周辺に浅い凹凸がある。
 つい二時間ほど前まで、ここでは玉狛支部総員でのクリスマス・パーティが開かれていた。遊真たち新入隊員の歓迎も兼ねて開かれた催しだった。三時間ほど続いたパーティの後片付けを済ませ、遊真たちは一足早い帰路につき、いつの間にかだけになったこの空間。玉狛にとっては本来変わり種である本部所属のがひとり残っていると云うのも不思議な話だ。ただ、ここはいつ足を運んでも居心地がよく、パーティは終始笑いが止まらない展開で、帰りづらくなった。それだけ。
 経年劣化の目立つ窓と壁には百均でかき集めたカラフルな装飾をたくさん貼り付けて、倉庫から持ち出した古いクリスマスツリーにオーナメントでかがやきを添え、さながら幼稚園のお遊戯会みたいだったあの楽しい時間は、さっきまで見ていた夢のように儚く、それでもまだ至近距離に感じられた。
 短い眠りに見た夢がいささか気にかかる内容だったからか、は覚束ない思考を持て余す。
「遊真くんたち、家まで送ってきたの?」
「そ。別に遠くもないけど、心配だしな」
「迅もそういう理想的な先輩の行動を取れるようになったんだね」
 迅の手に抱えられた子袋からぼんち揚げをひとつ摘まみ、口に持っていく。それなりに美味しいけれど、堅い。ぼりぼりと云う、おおよそ可愛げからはいちばん遠い音がしばらく続いた。あとは暖房が稼働する低い音も。すぐ外を通る川のせせらぎさえ聞こえる。広い談話室、しんと静かな冬の夜、宴のあと、ふたり。が場を辞するときを思案していると、一足先に迅が立ち上がった。
「帰るんだろ?」
 はちいさくうなずく。迅がこちらの先手を打ってしまうことには慣れている。彼がいったいどのような感覚でサイドエフェクトを扱っているのかは、には終ぞ与り知らないことだけれど、彼がの感情を読んだような行動を取るたび、未来視と云うはかり知れないちからの一端を、しみじみと思い知らされるのだった。
 あたたかいニットワンピースの上にキャラメルカラーのダッフルを羽織り、帰り支度をととのえる。迅と並んで玉狛支部を後にした。本来ならよそ者のがパーティに参加させてもらえたことに感謝をしつつ。そういえば、隣のおとこから、プレゼントをもらっていた。余興のひとつとしてプレゼント交換をしたのだけど、には迅の品が回ってきたのだ。が選んだもの(シンプルで保温性もデザインもいい手袋)は、千佳に巡った。いたく喜んでもらえたので何よりだ。
「おれのあげたマフラー、巻かないの?」
「あ……うん、せっかくだから使おうかな」
 はショルダーバックを開け、いただいたプレゼントをあらわにした。目にきらびやかなクリスマスカラーの包装紙に、やわらかな何かが包まれている。プレゼントを一周するようにぐるりと巻かれていたサテンのリボンを解き、内側から目的のそれを取り出す。軽くて、白い、マフラーだ。細やかな毛糸の編み目がきれいである。迅はの手からマフラーを攫うと、それをの首にくるりと巻いてみせた。思いのほかあたたかい。
「白にして正解だった」
「え?」
「おまえ、髪が黒いから」
「……うん。あのさ、迅のプレゼントが私に当たるって、わかってた?」
「ぼんやりと」
 このおとこ、いけしゃあしゃあと。は白く色づいた息を吐き出しながら、首にあたたかく絡み付くマフラーに、半分ほど顔を埋める。外気に直接触れる耳と頬が今にも切れそうなほど冷え、確認せずとも赤くなっていることが分かった。手はコートのポケットに突っ込む。
 堤防沿いの歩道を進めばすぐにマンションが見えてくる。赤茶けた煉瓦模様の外壁、鉄筋五階建て、二階の突き当たり。人通りの少ない道を言葉数さえ少なく抜けて、マンションのエントランスまで辿り着いた。お別れを言うべくが迅を見上げると、彼はかすかに口角を上げていた。まあ、でも迅は、笑っているような……どこか諦観したような、抜けた顔が常態だ。
「何、笑ってるの」
「別に?」
「……そう。ここまでありがとね。あ、そうだ、聞いてなかったけど……何か欲しいものある?」
 は首許のマフラーを掴み上げて言った。プレゼントのお礼を、という単純な義務感と、クリスマスだし、というおまけ要素が混じった問いだった。迅は捉えどころのない目で笑った。彼がこんなふうに笑うときは、たいてい何か企んでいる。そしてその予感は見事的中した。
「じゃ、あったかいお茶を一杯」

 すっかり見慣れた自室に、茶色い頭のおとこがうろついているだけで、はそわそわした。キッチンに立ち、水を入れた電気ケトルのスイッチを入れる。ものの数十秒で湯を沸かすのが売りの機械だけれど、そのわずかな時間でさえ、何故だか長く感ぜられた。ひとり暮らしの部屋には他人の気配がむずがゆい。マグカップとティーバッグを棚から取り出していると、背中越しに声がかかる。
ー、本棚見てもいい?」
「どーぞ」
 は迅の顔も見ずに答えた。沸いたお湯をケトルからマグカップへ直接注ぐ。安いティーバッグの、けれどもそれなりに上品な香りが広がる。砂糖もミルクもいらない。あたたかな茶色い液体が満ちたマグをふたつ持って、は迅の座るソファへ向かった。本棚から見繕ったのだろう、迅は何かを一生懸命に読んでいる。
「はい」
「お、サンキュ」
 迅はさっそくマグカップに口を付け、あたたかい、などとつぶやく。も彼に倣って、冷えた体を紅茶で慰めた。体内にぬくもりが広がっていく感触に安堵する。
「何、読んでるの?」
「ん? いや、アルバム」
「あー……そういえば、本棚に置きっぱにしてた」
 迅の手許を覗き込む。アルバムにしては小さいB5サイズのスクラップブックに、幼少時代のやその家族の写真がところ狭しと貼られている。写真の横にはその当時のエピソードが数行綴られ、アルバムの制作者であるの母の細やかな性格を思わせた。もう何度も見ている代物なので、は大して興味をそそられないけれど、初見の迅はいやに楽しげにアルバムを捲っていた。
「これ、中学の卒業式?」
「うん。蓮乃辺だったの」
「へえ」
 ふたりしてアルバムを見つめる。さまざまな記憶が貼り付けられていた。
「高校卒業までの写真しかないよ」
「ボーダーに入ってからは?」
「写真撮る機会もないから」
「勿体ない。今度撮れよ」
「アルバムって、主に子ども時代を飾るものじゃないの?」
「そんな渋るなって。思い出を残しておくのはいいことだろ」
「……それは、まあ」
 言い返す言葉もなく、ただうなずく。ようやっと暖房が効き始めた部屋に、数秒の沈黙が下りる。
「これさ」
 迅がアルバムの中の一枚を指差して言った。
「結婚式?」
「ああ……うん。お兄ちゃんの」
 立派な白タキシードの兄と、幸福のドレスに身を包んだ花嫁。教会を背に立つふたりを囲むようにして親族が並ぶ。その中には当然のすがたもある。つきりと胸の奥が痛みを訴えた。
、きょうだいがいるのか」
「うん。お兄ちゃんだけ」
 はかすかに口角を上げて、答えた。流れた月日は傷薬となり、今ではもう、写真の内の兄のすがたを見ても、無事に笑えるようになった。てのひらよりもちいさい、たった一枚の写真に納まった「幸福なふたり」をしばし眺める。
 急に、迅がを抱き寄せた。は少し驚いて目を見開くと、意図を問うために迅を見上げた。やけに真剣な目だ。
「いつ、亡くなったんだ?」
 ……ああ、そう云う。気付いたのか。はなるほどと細い息を吐き、アルバムで永遠に笑っている兄を横目で見つめた。兄とふたりで並んでいると、よく似ていると言われたものだった。
「第一次近界民侵攻のとき」
 即死だったのは救いだと思う。それに、新郎新婦ふたり、共に。がれきの下から見つかったふたりの遺体を思い出し、体の底が重くなる。
「そうか」
 子どもみたいに頭を撫でられた。優しい手付きの指先にしばしまどろむ。年下のおとこに慰められるというのは、いつだって気恥ずかしいものだ。心地よくもあるけれど。は迅のジャケットに顔を埋める。嗅ぎ慣れた匂い。なんだかなあ、こいびとでも家族でもないくせに、お互いの匂いに慣れている。心中でひとりごちた。部屋に上げ、お茶を出し、たぶん、迅は泊まっていく。こないだは勢い余って肉体関係まで結んだ。真面目な兄が耳にしたら怒号を上げそうな話である。……もし、生きていたらの話。

、このまま寝るなよ」

 寝ないよ、と答えた。もごもごと口を動かして。寝てたまるものか。ひとの胸で無様に泣きながら、眠りについてたまるものか。
 が迅の肩越しに眺めた窓の外では、白くやわらかな花が積もり出していた。

(2014/01/10)