Treat me like your candy

 着ぶくれするほど服を重ねるのは、好きなおとこの子の手で身ぐるみを剥がされるよろこびを待ち望んでいるからだ。そのときが長ければ長いほど高揚を覚えるからだ。
 と年下のこいびとは真冬の寒気に打ちひしがれて、逃げ込むようにマンションの部屋に入った。ただでさえ手狭な玄関口にふたりの人間。うあーさぶい、なんて出水公平が短く嘆くのを、は背中で聞いている。編み上げのブーツを脱ぐには手間取るので、くたくたのスニーカーを履いた出水を先に上がらせた。
「お邪魔しまーっす」
 ぱちりと蛍光灯のスイッチが点けられる。短い廊下の先に七畳の部屋があるだけの単身用マンションは途端に明るくなった。襟にファーをあしらったキャメルコート、黒皮のロングブーツ、手首までをそっくり隠すニット・ワンピース、80デニールの黒タイツ。過不足がない、の冬の装い。よいしょ、とか何とか言いながら部屋に腰を下ろした出水は、首を守っていた長いマフラーを緩めていた。マフラーと同じ色合いの手袋は既に外されていて、毛足の長いカーペットに寝転がっている。
 はコートを脱ぎ、洗面台でうがいと手洗いを済ませると、帰路の途中で買ってきたコロッケの包みを開いた。
「冷めないうちに食べよう、これ」
「うん。さんさ、どっちにする? メンチとポテト」
「半分こしない?」
「お、いーねー」
「これ使って」
 がアルコール入りのウェットティッシュを渡すと、出水は素直に手を拭いた。こういうところがかわいいな。は思う。少年の瞳のまま、嫌な顔ひとつせず言うことを聞いてくれるところ。彼の美徳だ。
 わざわざ箸を使うのも面倒だった。包装紙で上手くコロッケを包み、手掴みでいただく。ひとくち齧ると口の中が素朴な旨味で満たされて、と出水は揃って満足げな息をもらした。
「やっぱり美味しいよね、駅前の」
「安いしなー。今度さ、エビフライも買おうぜ」
 ふたりとも、あっという間にぺろりと平らげてしまう。淹れたばかりの緑茶を飲んで、ようやく一息吐いた。さっきスイッチを入れた暖房がようやく効きはじめている。はワンピースの袖を軽く捲った。手首で、ピンクゴールドの繊細なチェーンブレスレットがさらさらと揺れる。
 興味でも引かれたのか、出水がテーブルに置いたままのファッション誌を手に取った。ぺらぺらと適当にページを捲れば、素晴らしいスタイルのモデルたちが流行の服に身を包んでいる。おもむろに出水が雑誌の一メージを指差して言った。
さんさん」
「ん?」
 携帯をチェックしていたが顔を上げたところ、実に楽しげな表情をしている出水と目が合った。
さんさ、こういうかっこも似合いそうなんだけど」
 出水の手許を見れば、きれいめのショートパンツにカラータイツという冬らしい組み合わせに身を包んだ長身モデルが笑っている。足許を飾るピンヒールがまぶしい。はほんのわずか眉を寄せた。
「ショーパン? うーん、脚ぜんぶ出るからあんまり好きじゃない」
「えーそれがいいのに。そこにタイツを穿くから最高だってのに。おれさー、ミニスカよりはこっちのが好み」
「こんなタイミングで性癖暴露しなくていいよ、う、わっ!??」
 いくぶんか辟易としてが言うと、ふとももがぞわりとして思わず声が出た。タイツ越しにうごめく指を感じる。隣にいる出水はにまにまと笑っていて、頬を抓ってやりたい気持ちになった。
「ねーさん、おれ、やりたい」
「……品がない言い方はやめなって」
「じゃあ、そーだな、――えっちしよ?」
 のからだがぴしりと固まった。耳許でわざとらしく声をひそめる、この十七歳はなんなのだろう。はためらうように視線を揺らがせたあと、ふとももを撫でる出水の手をすぐさまどかすと、そのまま彼をカーペットに勢いよく引き倒してやった。出水が目を丸くする。――けれど、ほんの一瞬後には元通りのいやらしい顔付きに戻っていた。
「あれ? してくれんの?」
「うん。するよ」
「はは、さん、やっさしー。好きだわ」
「……うるさい、」
 は出水の頭を囲うように両手をつくと、ゆっくり顔を近づけていった。背中に、出水の細長い腕が回る。薄いくちびるに触れようかというその瞬間、どうしてだか、からだが止まってしまった。心臓が機能不全を起こしているのではと思うほど、鼓動がうるさかった。ピントの合わないおぼろな視界のなかで、猛禽類を彷彿とさせるブラウンの瞳が細められる。あっ、と思ったときには、後頭部を引き寄せられていた。
「くち開けて」
 体重のほとんどを預けてしまっているけど、重くないんだろうか。ワンピースの上から腰をなぞる指先がやけに生々しくて、背筋がふるえてしまう。額や頬を掠めていく、脱色された出水の髪の乾いた感触がくすぐったい。されるがまま、したいがままに任せているのに、の脳みそは何だかさまざまな事柄を考えている。このまま暖房を付けていたって熱くなるだけだと思った。出水のくちびるは薄いと思った。そんなものの内側に熱くてやわらかい舌を隠しているなんて、卑怯だと思った。
 コロッケの味がするキスなんて、あまりにもふたりにお似合いだから、困ってしまう。
「舌、熱い」
「出水もね」
 ふたりぶんの平常心がぐずぐずに溶けたころ、と出水は一旦からだを起こした。仕切り直しだ。そばのベッドに転がって、そうするのがあらかじめ決められていた予定だとでもいうように触れ合う。出水はの服をすぐに脱がそうとはせず、ずうっと内腿を撫でていた。もさすがに焦れて来るのだけれど、厚みのないタイツ越しに触れられていると余計に興奮することに気付いて、何も言わなかった。時折引っ掻くように爪を立てられれば、その度に腹の奥が震えるような心地に陥る。際どい位置まで上がってきたと思えばまた膝小僧へ下がっていく憎らしい手を睨む。少し細くて、甲には筋がうっすら浮いている。は無駄にどぎまぎした。出水という人間の部品はどこか繊細で精巧なつくりをしているのに、それでも圧倒的におとこなのだった。と比べると、肌のうるおいとやわらかみが違う。くちびるは、リップなんて塗らないんだろう、少しささくれているし。冬場の乾燥さえ彼というこいびとを引き立てる役者にしかならないとは。
「……あ、そうだ。出水、」
「んー?」
「暖房消してくれる?」
「はいはいっと」
 出水がスイッチを操作し、暖房が動きを止める。この部屋にはいよいよ吐息の応酬しか響かなくなった。が出水を抱き寄せる。無駄にちからを込めた抱擁にしてしまうから、出水は笑み混じりに言うのだ。「どうしたの、さん」。彼は昔からずるい口振りを選ぶ子だった。分かっていても知らないふりをして、口端をよろこびで歪める。根を上げるのはいつだって側だった。かなしいかな、年上のプライドは肝心な場面で役に立たないことが多い。
「さすがに破るのはなー、駄目だよなー」
 出水がの脚を眺めながら悩んでいるように言った。はぎょっとして、慌てて腿を押さえる。軽い口調でとんでもないことを口にする子だ。
「え、駄目だよ。タイツってそんなに安くないんだよ!?」
「ぶはっ、はは、何ソレ。そーゆー問題なんだ、さんの中では?」
 けらけら笑う出水の額にデコピンを食らわせて、至極真面目な調子で答える。
「大事なことでしょ。だから、破ったら駄目だよ」
「はいはい、分かりました。でも、撫でるのはいいんだよな?」
「……」
 は言葉に詰まって何も言えない。出水はこれ幸いと、やわらかい腿に手の平を這わせつつ、そうっとワンピースの裾の中まで手を潜らせてくる。くるくると丸めるように脱がされていくタイツの下からは、生白い肌がお目見えした。出水がごくりと唾を飲んだのがありありと分かって、の脳髄がぐら付く。
「あー、興奮する」
「いちいちそういうこと言わなくていいって」
「え、さんは? 興奮しない?」
「…………。……少しは」
「だろ? おれ、脱がすの好き」
 そして私は、脱がされるのが好き。
 少々頑固なには、そんなせりふを返す余裕もない。真っ直ぐな言葉は恥ずかしい。それならと、子どもっぽい、触れるだけのキスで返した。したあとで、こっちのほうがよっぽど恥ずかしいことに気付く。出水は、佐鳥など他の隊員が云うところの「いやらしい」表情で笑っている。こういうとき、年上だとか年下だとか、そんな些末な事実はすぐに鳴りを潜めてしまう。してやられた、と思う。
「すんごい厚着してんだな」
「寒いからね」
 殊更あったかいニット・ワンピースを脱がされたあと、静電気を帯びたの髪がぱちぱち鳴って、出水は笑った。妙なかたちに乱れた髪を直してやり、の頭を抱える。むやみやたらと抱き締め合うのが、ふたりのいつものやりかただった。
「静電気、痛くない?」
 はもごもごと言う。頬には出水のなめらかな鎖骨が当たっていて、浅く窪んでいた。
「へーきへーき。あーあ、早く夏来ねえかな」
「言っとくけど、水着だけは絶対無理だよ。派手なのなんて特に」
 釘を刺せば、出水は耳許でふてくされる。ちぇ、という声。ほほえましい。けれどビキニは断固として拒否したいところだった。
「私は冬が好きだな。出水ってさ、コート似合うじゃない? ダッフル着てるとかわいいよ」
「ええ~、あれ、子どもっぽくね? 指定ってめんどいよな~」
 出水はそう言うけれど、やっぱりは彼のコートすがたが好きだ。冬の装いの似合う子。年相応にも、大人びても見える。毎日眺めていたい。そしてできれば、それを脱ぐところも。余すことなく。
「ホントにかわいいよ? もっと見たいくらい」
「まあ、それぐらい別にいいんだけど。でもさ、代わりにさんもさっきおれが言ったやつ着てよ。で、見せて」
「何かそれずるいな。でもまあ、いいかな」
 は、衣服が減ったにも関わらず熱を上げるばかりのからだをおかしく思った。体温って、六度五分なんじゃなかったっけ。体感ではもっとあるように思える。
 何かの包み紙のように、ふたりの衣服はどんどん剥がれていく。その芯にあるものは、言うなればきれいに輝く飴玉みたいな存在だ。すっかりはだかになったからだを重ねると息が詰まりそうになった。キスや触れ合いだけを繰り返していただけだったのに、ふたりともすっかり準備万端になっていて、あっという間に馴染む。詰めていた息をゆっくり吐き出せば、熱く膿んだ結合点から粘着質の音が響く。
さん、動ける?」
 はうんと答えたつもりなのだが、喉の奥からは掠れた息しか出て来ない。仕方がないので行動で示した。ゆるゆると奥を突いてみると、涙が薄く滲む。
「うあ、なんかもう、どろどろになってんじゃん」
 これまでの辛抱を吐き出すような激しい動きで、内臓ごと持って行かれそうになる。正気は怪しかった。の喉に、出水の頬からこぼれた汗が伝う。目を細め、眉根を寄せ、ただただ一点を目指すだけのその表情がどれほど愛おしいことだろう。普段はどこかひとを食ったところのある出水が見せる無防備な一面を、今、じぶんだけが独占している。私だけの、いとおしい子だ。圧倒的な満足感がの皮膚を伝っていく。ひとあし先に迎えた絶頂の中で、からだが隅っこから融解するような感覚を得る。包み紙の中の飴玉が跡形もなく溶けていく。
「いずみ、からだ、あつい、」
 以後、のくちびるから出て来る音と云えばもう、ただのうわ言だけだった。

(2014/06/28)