散々、燦々

 その日の米屋陽介はとても上機嫌だった。ボーダー隊員でにぎわうラウンジの真ん中、ソファにどっかりと腰かけ、テラスで購入したカフェオレを飲んでいる。肘を付き、にやにやと口角を上げながら、対面席で不貞腐れている友人――出水公平の表情を眺めた。出水の、梟を思わせる鋭い目は不機嫌に細められ、米屋とはまったく違う方向に視線を投げている。どこからどう見たって、おれは今どうしようもなく腹立ってるんで話しかけんな、という剣呑な雰囲気だ。また、笑ってしまう。
 米屋は、先ほど行ったランク戦で出水を打ち負かしている。
 気にくわないのだろう。もともと最初に吹っかけてきたのは出水のほうだったから、尚更。大玉を放ったあとに挟まれた一瞬の隙を突かれ、米屋の弧月――槍の切っ先に呆気なく心臓部を貫かれた出水の、悔しげな表情が米屋の優越感をぐんぐんと育てる。やはり戦闘は最高に楽しい。勝てば尚更。半分ほどなかみを減らしたカフェオレの紙コップを横にのけ、米屋は自慢げな表情を隠そうともせず言った。
「おーおー悔しいよなあ出水クンよー」
「るっせ。死ね」
「口悪っ」
 にべもない返答に、米屋のくちびるからは渇いた笑みが漏れる。出水の、感情をいっさい隠さないところは扱いやすくて好ましい。苛立ちもあらわな表情でそっぽを向く出水は薄いくちびるを真一文字に結んだまま、一言も喋ろうとしない。米屋はここぞとばかりに食らい付き、追い打ちをかけた。
「で、もちろん約束覚えてんだろーな?」
「……」
「勝ったほうが負けたほうの言うこと聞く、ってヤツ」
「………」
「おーい。出水?」
「…………聞いてるから早く何でも言えよ」
 無視を続けていた出水がドスの効いた声を出した。米屋は震え上がってみせる。もちろんこれ見よがしなポーズだ。それさえ出水の不機嫌を加速させる材料にしかならないと分かっていて。意地が悪いと、自分でも常々思う。しかし、目の前に最高の玩具があるのに手を出さない子どもがいるだろうか?
「おっかねー……。てか、なんつーか、頼みを聞いてもらうつーのも味気なくね?」
「は? 知るか」
「そんぐらいならいつでもできんじゃん。だからさぁ、オレの言うことなんて聞かなくていーから、」
 米屋はこれ以上ないほど大きく、口端を上げた。
「おまえの誰にも言えねー秘密、一個だけ教えろよ」
 出水が思いきり顔を顰めたのを認め、米屋はガッツポーズでも決めたい衝動に襲われる。
「ふざけんな。話が違うだろ」
 案の定噛み付かれたものの、だっておまえ負けたじゃん、と事実を再度口にすれば、出水は悔し気に口を噤んでしまう。言い返せない。
「悪趣味だな」
「ま、こーゆーことでもなかったら、弾バカの秘密なんて聞けそうもねーからな。何でもいいぜ」
「あ~……なんなんだよ、ったく」
 出水はマリアナ海溝よりも深い溜め息を吐き出しつつ、腕に顔を伏せてしまった。明るく染色された髪がふわふわと揺れる。制服の学ランに身を包んだ出水の全身からは鈍色の後悔が立ち昇っていた。そのまましばらく黙り込んでいたかと思うと、不意に出水は腕から顔をちらりと覗かせ、ラウンジの右端を数秒眺めた。米屋は不思議に思って出水の視線を追いかける。辿り着いたのは隅のソファ席。セーラー服を着た華奢な後ろ姿を認めた。あれは、確か。
「………さんで、抜いたことある」
 今にも消え入りそうな声だった。米屋の動きが止まる。今、コイツ、何て言った? 不出来なロボットのように、ぎこちない動きで出水に視線を転じる。聞き間違いだと思った。だが、伏せた腕から顔を半分程度覗かせた出水の瞳は先ほどのセーラー服を見つめたままで、そこから頑として動かない。少女のあどけない笑い声が聞こえた気がした。あれは、既知の。一学年上の――。
 一拍置いて、米屋は火が付いたように笑い出した。
「ぶ、ぶは、おま、それ、マジか」
「言えっつったのおまえだろーが!」
 腹を抱えて背を丸める米屋を前に、顔を真っ赤に染めた出水が中腰で反抗する。そりゃあ確かに、誰にも言えない秘密ってヤツに違いない。間違いなく人生の恥部だ。ずいぶん予想外の方向から投げられた変化球に、米屋は次から次へとこみ上げてくる笑いを止められない。目尻にうっすら涙は滲むし、腹筋なんかは徐々に痛くなってくる。勢い余ってテーブルを叩いてしまったものだから、近い位置にいる後輩隊員らが何ごとかと怪訝そうな視線を投げてきた。
「はは、っ、サイコー」
 出水は浮かせた腰をまたソファに落ち着かせると、もうどうとでもなれと言った表情で肘をついた。忌々し気に悪態を吐き捨てる。
「クソ。これで満足かよ」
「満足満足。たしかなまんぞく」
「今度ぜってー負かす」
 出水が勢いよく席を立った。荒々しくスクールバッグを引っ掴み、あっという間に場を立ち去ってしまう。苛立ちと羞恥を背負った出水の背中を見送ったころには米屋の笑いもすっかり落ち着いて、残っていたカフェオレに口をつけた。喉を流れ落ちていく苦味と甘味の中庸。
 そこで、米屋はふいに真顔になる。先程までの苦し気な爆笑から一転、真っ黒い目に後悔が混じった。ずるずるとうなだれる。
「………つかそれ、オレもあんだよなー……」
 世にも惨めな独白はラウンジの喧騒に消えていくのみ。好奇心は犬をも殺す。また、何も知らない少女の楽し気な笑い声が聞こえた気がした。

(14/09/20)