きょうのシチューにカボチャを入れよう

 失敗ばかり繰り返す料理初心者は大抵、レシピにアレンジを加えたがる。
 有名な話を思い出して耳が痛くなった。まさに私だったからだ。ぼんやり眺めていただけのレシピ本を閉じ、二人掛けのソファに体重をぜんぶ預ける。手狭なワンルーム・マンションのキッチンには軽快な調理音が響いていた。私の夕食は、今まさにあそこで作られている。他でもない木崎レイジの手によって。
 手持無沙汰を解消したくなり、腰を上げてみる。
「何か手伝うことある?」
「おまえが砂糖と塩を間違えないレベルに到達したらな」
 にべもない木崎の返答で、私の息がぐっと詰まる。
「あれは……あれはちょっとぼんやりしてたからだよ。もう大丈夫、そんな初歩的なとこ」
 わざとらしく腰に手を当てて不満げに申し立てれば、木崎は疑わしげに目を細める。駄目だ。完全に嘘だと思われている。非常に不本意だ。けれど以前、塩っ気しかない卵焼きを作った経験があるため、私には反論の余地がない。
「いいから、座ってろ。すぐできる」
 しょうがないので、一度は浮いた腰をふたたび落ち着けた。切り口のオレンジが鮮やかなカボチャ、まあるい玉ねぎ、厚みのある鶏肉。ありとあらゆる材料を効率的に、そしてリズミカルに夕食へと変貌させていく木崎の手付きはまるで魔法でも使っているみたいで、私は思わずじっくりと眺めてしまう。そういや、料理ってなんだかマジックショーに似ているな。
 シンプルなカットソーを押し上げる肩の筋肉が、木崎の動作に合わせて繊細に浮き沈みするようす。見とれずにはいられない。よく研がれた包丁を扱う指先は頑丈な木の根のよう、なのに、ひどくセクシーにも思える。
「木崎の作ったシチュー、大好き」
「そうか」
「具をさ、これでもかってぐらい入れてくれるじゃん。すごい贅沢」
「そうしたほうが美味いだろ」
「ふふ、うん、そうだけど。ところで、いっぱい作ってくれるんだよね?」
「ああ。数日は持つんじゃねーのか」
 やった、とガッツポーズを作ってみせる。木崎は呆れていた。食べ盛りの子どもに注がれるのと同じような視線で見つめられて、笑ってしまう。
「駄目にする前に食い切れよ」
「うん、うん。無駄になんてしない」
 答えるそばから口端がゆるむ。ガスコンロであたためられた銀色の大きな鍋に牛乳が注がれる。砕かれた固形コンソメが鍋のなかみに溶けてゆく。目移りするほどさまざまな材料で美味しい糧を作り上げるべく集中している、木崎の広い背中を眺めているだけ。彼と過ごす食事の時間、私が務めるのは実に楽な役割だ。ふたりで囲む食卓にあたたかい皿が並ぶ瞬間が待ち遠しくて、たまらない。木崎と会う日に何かしらの手料理を振る舞ってもらうご褒美がすっかり習慣化してから、いったいどれくらいの日々が経つのだろう。
 弱火でコトコト煮込まれる鍋の音がしばらく続いて、鼻腔を美味しそうなにおいがくすぐり始めた。私は夕方のテレビを流し見しながら、てきぱきと合理的に行動する木崎に始終感心していた。シチューを煮込むあいだにサラダを作り、冷蔵庫で冷やす。洗い物を済ませる。隙間の時間を最大限に有効活用していた。まるで主婦のように手際が良い。シンプルな紺のエプロン姿も様になっていることだし。いっそ嫁に欲しいぐらいだ。
「ほら、できたぞ」
 あっという間に出来上がった夕食を、ふたりで囲む。とろりとあたたかそうなシチューの海に、やわらかく解れたカボチャがたくさん転がっていて幸福を覚える。しかも荷崩れしないように工夫が施されているのだからさすがだ。カボチャはあらかじめ軽く茹でておいて、最後のころに鍋へ投入するのがいいらしい。
 無意識のうちに、ごくりと喉が鳴る。
「いただきます」
 ふたりいっしょに手を合わせた。
「いつもありがと、助かる」
「いや。別に自分の飯を用意するのと大して変わらねーしな。ほら」
 木崎がウッドスプーンを手渡してきたので受け取る。私はさっそくひとくち掬って味わった。美味しい。余計な形容なんていらない。ひとことで事足りる。ついつい目尻が緩んでしまった。目の前の男はこんなときでさえ大して表情を変えないが。サラダにフォークを伸ばせば、瑞々しいレタスが口内を潤す。ぷりっと丸いミニトマトは私がヘタを取り除いたものだ。料理音痴の身でも、さすがにそれぐらいは手伝えたから。
「ここ最近、ずっと木崎のご飯食べてるから、そろそろ私は木崎のご飯で構成されててもおかしくないな」
「なんだそれは」
「まあともかく、ご飯作ったお礼するから、後で楽しみにしてて」
「礼?」
 木崎が怪訝そうな顔を浮かべる。私は息をもらし、にんまりと笑った。
「うん。ベッドで」
「……。馬鹿だな、おまえ」
 そっけなくも温度はある返事すらいとおしくなって、私は深皿のシチューをもうひとくち、掬った。

(14/08/08)